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桜洞城の築城は上村に進出した三木氏三代の重頼によってはじめられ、四代の直頼のときに完成したといわれます。
城は、JR高山線の飛騨萩原駅から北に、約五〇〇メートル、線路の東側にひろがる高台の一角にありました。
今も高台の西北の端にこんもりと繁る森がありますが、この森から南へおよそ一八○メートルにわたって、築かれていたのです。
現在はそのほとんどが田畑となっており、西北方に面して残っている土塁や空堀のほかは、城跡をしのばせるものはありません。
桜洞城には直頼・良頼・自綱の三代にわたり居城しましたが、天正七年(一五七九)、自綱はかねて念願の飛騨統一をめざして、
高山市の松倉に新城を築いて進出し、桜洞城はその出城となって、城主は冬季のみここにとどまったので、「冬城」とよぶようになりました。
また天正十三年(一五八五)に三木氏が金森長近に敗れると、桜洞城はとりこわされ、萩原に諏訪城が築かれたため、新城に対して「古城」ともよばれることになったのです。
現在、城跡一帯の土地所有者である萩原の金森家(当主敏雄氏)に伝わる家憲の中に「祖先伝来の冬城の山林は、けっして他人にゆずってはいけない。
また御神木は誰も伐ってはならない」と書かれてあり、金森家では、その伝えを守るとともに、毎年秋になると「御神木」のもとでおまつりが行われています。
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